スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

8月24日(土)高知県支部総会のお知らせ

こんにちは。
来る2013年8月24日(土)に、熊森の高知県支部の総会を行いたいと思います。

場所:高知県長岡郡本山町大石 クラインガルテンもとやま会議室

時間:8月24日(土)13:00~

熊森会員の皆さん、そうでない方も、ぜひいらしてください。

アクセスは「本山町大石」周辺に、何カ所も「クラインガルテンもとやま」の看板がありますので、
そちらの看板に沿ってきていただければ、大丈夫です。

車がない場合、電車でいらっしゃる場合などは、
支部長のカトウ 090-7146-6165 まで、ご連絡ください。

熊森高知支部では、間伐体験ができる林や、農作業体験ができる畑や田んぼがありますので、
ぜひ皆さん遊びにきてください。

参加を考えている方は、
kumamori.kochi@gmail.com
までメールいただけると助かります。よろしくお願いいたします。
スポンサーサイト

活動の理由は人それぞれ

 いまさら紹介するのもアレな話ですけれども、このメルマガを読んでくださる
 皆さんは、一応、ネット環境があるはずですので、
 熊森本部のサイトを紹介しておきます。
 http://kumamori.org/ (熊森で検索すればすぐ出てきます)

 サイトでは、いろいろ細かい活動の報告や、個人でも協力できる活動、
 例えば「自治体宛に○○に関するメールを送ってくださーい」
 みたいな呼びかけとかもありますので、ぜひ週1くらいで覗いてみて下さい。


 さて。きょうは何の話を書きましょうか。

 
 数日前、ウチの犬がウサギを捕まえました。

 以前からお伝えしているとおり、私が住んでいるところはド田舎、
 という言葉では足りないくらいの場所です。田舎というよりは、
 山と森の中にポツンと住んでいる、といったほうが正しいくらいです。

 ですから、犬もそこらの山を自由に走り回っています。

 
 そしたら先日、山から帰ってきた犬が何か灰色のうごめくものを
 口にくわえていやがるんですね。
 ネズミにしては大きいなと思ったら、ウサギなんですよこれが。

 ペットショップで見るようなウサギよりも、
 耳が短く、ずんぐりむっくりしていて、
 ハムスターのでかいやつといった感じでしたが、たぶんウサギでしょう。


 ちょっとここからグロい話になりますが、そのウサギ、
 犬に噛まれて既に脚が一本、とれかけておりました。
 このまま野山に放してやっても、遠からず死ぬでしょう。

 さばいて肉にし、僕が食べるというのも一つの選択肢でしょうが、
 僕にはまだウサギをさばける技術はないし、
 チャレンジしてさばいて肉にしたところでウサギは小さいし、
 労力と肉を天秤にかけたら、労力が明らかに勝っています。

 といって、そのままトドメさして埋めるのも、なんかアレだし、
 数秒ほど考えたあげく、犬が捕まえてきたんだし、
 犬のゴハンにすることにしました。

 包丁でウサギにとどめをさし、犬にやったら、
 ドッグフードに慣れきった軟弱な犬は大層苦心しながらも
 頑張って残さず平らげた、という、
 別にオチも何もない話で恐縮なんですが。

 ちょっと、そこから動物とは何ぞや、動物愛護とは何ぞや、
 てなことに妄想をふくらましてみたりしたんです。


 熊森は動物(自然)保護の団体ですし、その活動に参加している方の
 大半は、動物が好きでしょう。ですから、この犬とウサギの話なんか、
 読んでいて嫌な思いをされるかもしれません。
 
 でも自然界(まあ、犬は自然界のものではないと思いますが)では、
 肉食獣は生き物を喰らって生きるものだし、
 草食は心やさしくて肉食は残酷、みたいな区分も当然ありません。

 「熊は心やさしい動物」というような言い方もありますが、
 僕個人としてはそんなこと思ってません。
 それは熊が残酷だという話でもなく、動物は動物、
 人間の価値基準の「心」なんて物差しを動物に適用するのは
 違うだろうと思っている、ということです。

 (「熊は心やさしい動物」という言い方を、熊森でもたぶん
  言っているでしょうし、支部長という立場上、それを否定は
  しませんよ。ただ個人的にそうじゃないと思っている、という
  ことくらいは言ったって構わないでしょう)


 熊森の活動の根本は、兵庫県の中学生(当時であって、今の年齢は
 僕と同い年くらいの、三十そこそこの方々ですか)が、
 殺される熊が可哀想だと思って始めた活動だそうです。

 僕は、そういう気持ちは分からなくはないし、
 むしろ「熊なんか知らんわい」という人よりも、
 「熊が可哀想」という人のほうが好きですが、
 僕が熊森の活動に賛同している理由は、そこではありません。

 僕個人としては、動物が可哀想という理由よりも、
 「自然は人間にとって必要である」という考えから、
 自然保護はするべきであると思って、やっています。

 熊も、イノシシも、鹿も、サルも、いろんな虫や動物も、
 それらをひっくるめた「森」という存在が、
 日本にもっと多くあったほうが、人間生活が豊かになるだろう、
 という思いが根本にあって、やっています。

 じゃあ、すべての野生動物を管理すべきである、
 という発想かというと、そうではなく、
 動物が自由に暮らしている「森」があるという状態が、
 人間にとっても最良である、という思いです。

 当然、これは「僕の考え」であって、
 熊森高知の考え、というわけではありません。
 んなことを押しつけようという考えは毛頭ありません。
 ただ、支部長としての僕個人の考えは明確にしておいたほうが
 よかろうと思ったから、書いているまでです。


 というか、そもそも僕は熊森の活動においては、
 「何をするか」に共通項があればいいと思っており、
 「何のために」に共通項は必要ないと思っています。

 心にまで共通項を求めようとすると、それは宗教団体です。
 
 熊森の活動は「自然をひっくるめて保護しよう」ということで、
 その旗印には、絶滅しかかっている大型獣の熊がいます。
 
 そこに賛同する理由は「熊が可哀想」でもいいし、
 「熊が絶滅したら熊の鼻の穴に寄生しているニセクマハナクソダニが
  絶滅してしまうから可哀想だ」でもいいんです。
 もしくは「熊が減ったら、仕事にならんがな」という
 マタギの人だって、利害は一致しているわけです。
 
 もちろん、活動を広めていく以上は、最も共感を得やすいところ、
 例えば「熊が可哀想」というのを前面に出してやっていく、
 ということは正解だと思います。
 ただ、個々の会員さんが活動するにあたり、
 それを他の人にまで強要するのは違うだろう、ということです。

 あ、念のために言っておきますと、僕個人に何か
 そういうトラブルがあったわけじゃないですからね。
 ただ、犬とウサギの話の流れでここまで書いているだけです。

 一応、高知支部長をやっている僕個人としては、
 そういう思いで熊森の活動をやっております、ということです。
 それは高知の会員の皆様にも知っておいてもらったほうが
 いいのではないか、と思ったまでのことです。

 とりあえず皆さん、「何をすべきか」の具体的なアクションが
 一致する人とは、手をとりあってやりましょう、ってことです。
 その行動に至る理由なんかは、人それぞれ、いろいろあるでしょうね。

森の分類

 こんにちは。熊森の高知支部です。
 
 熊森は、僕の理解では「森」を守る団体です。

 熊をシンボルとして、日本国内の森林を、動植物ひっくるめて保護していこう、
 という活動を主としていると思っているし、
 このメールを読んでいる方も、少なからず同じ考えだと思います。

 で、その際に、日本の山をどう把握しているか、
 というのが結構重要になると思っています。

 同じように「山」や「森」を語るとしても、その人が考えている
 「山」とは何か、「森」とは何かということに食い違いがあると、
 細かいところで思いがすれ違うことがあります。

 そこで、そのへんのことについて、
 とりあえず自分の考えをまとめておきたいな、と。
 
 同じようなことを、前にもメルマガやブログで書いたかもしれませんが、
 あらためて、まとめてみたいと思います。


 「森」と一口に言っても、そこには多種多様な森があります。
 木は一本一本違うし、気候も違うし、同じ森は一つとてない。

 だから、スーパーウルトラ理想論としては、
 「すべての森は違うから、それぞれに最適な保護方法があるはずだ」
 ということになりますが、いくら何でもそれはぶっ飛びすぎ、
 現実的な運動としては、何もできなくなります。


 では、逆の意見として、すべての森を「森」と表現するのも、
 これまた無理があります。

 荒れ果ててしまった人工林と、屋久島のような天然の原生森、
 これを同じ「森」として語ってしまうのも無理があります。

 
 つまり、最初の問題として、日本の森(山)を、
 どのくらいに「分類」して把握すべきなのか、
 ということを考えたい。というのが今回のテーマです。


 今のところ僕が考えているのは、次の4つに分ける方法。

 1.管理の行き届いた、木材生産のための人工林
 2.管理が行き届いていない、荒れ果てた人工林
 3.里山(雑木林・人工林でもある)
 4.奥山(天然林)

 という分類。

 もうちょっと詳しく説明します。

 1.の管理の行き届いた人工林とは、作業道のつけやすい、
 傾斜の緩やかな、日当たりの良い、アクセスの良い、
 木材生産に向いた土地を中心として、採算のとれる林業をしている地域

 2.の荒れ果てた人工林とは、戦後の林業政策により、
 本来は林業に向かない土地に植えられたとかの理由で、
 採算がとれなくなって管理放棄されてしまった地域。

 3.の里山とは、本来は薪やキノコのほだ木などの利用のため、
 人里近くに広葉樹を中心としてつくられた、人工林のこと。
 ここで言う「人工林」とは、人間のためにある林ということで、
 それがスギか広葉樹かに関わらず、人工林と呼んでおきます。

 4.の奥山とは、標高が高いとか、斜面が急だとか、
 人里離れていたりする土地を中心とした、
 人の利用を目的としていない森。
 しいて利用目的を言えば、水源地ということでしょうか。


 さて。

 よくある分類で「人工林」と「天然林」みたいに、
 スギ&ヒノキとその他、という感じでザクっと二分して
 しまうものもありますが、僕はそれだと、不十分だと思うのです。

 例えば、里山は本来は人間のためのものです。
 そこで生きられる動物も多いですけれど、生きられない動物も多い。
 
 「奥山」と「里山」では生態系も、そして日本国において
 占める面積も全然違うので、一緒に語るべきではないと思っています。

 また、人工林と一口にいっても、木材生産は必要ですし、
 ちゃんと管理されている土地と、そうでない土地を、
 一緒くたに語ることは無理があるだろうと思います。


 あまり分け過ぎても、最初に行ったように、
 理想論としての「すべての森は一つ一つ違う」というところに
 行きついてしまうだけなので、
 とりあえずは、この四分類くらいで考えるのが
 ベターなのではないかと思っているわけです。


 そして、この四つ、それぞれについて対策が必要です。

 まず「管理された人工林」を生み出すのは、これは林業の仕事。
 間伐を積極的に行ったり、国産木材の普及を促進したりと、
 結構、自治体や国レベルでも(効果のほどは別として)
 活動自体は盛んに行われている、
 少なくとも行っているとアピールはしています。
 
 「放置された人工林」を減少させ、
 「管理された人工林」へと移行させるべく、
 こういう林業関係の活動の方たちは頑張っています。


 そして、里山。

 人里に近い雑木林は郷愁を誘うものですし、
 都会の人が自然体験をするのにうってつけでしょう。

 これも、僕個人の感覚ですが、多くの活動があるようです。

 個人レベルから自治体レベルまで、
 先ほどの「林業」よりは規模は小さくなるものの、
 数十年前は普通にあった里山を復活させる活動は、
 盛んに行われていると感じます。


 そして、奥山。

 これがおそらく、最も活動が少ない場所でしょう。
 
 考えてみれば当たり前です。

 林業のように経済活動を生み出すわけではないし、
 里山のように身近な自然体験ができるわけでもない。

 奥山は郷愁誘う昔の風景、というわけでもありません。
 あまり人間活動と関係ない。だから目につきにくいです。


 しかしながら。僕が思うに、奥山が最も重要なところです。
 そして、面積的にも大半を占めるところです。

 理想をいえば(熊森のパンフとかにも書いてありますが)、
 標高の高いところや、沢沿いや、急斜面、
 こういうところは手つかずのまま残しておくべきです。
 (ちなみに、たとえ人里に近くとも、そういう利用しにくい場所は、
 「里山」ではなく「奥山」と、ここでは表現しています)

 本来ならば、奥山であるべき場所の多くが、
 スギやヒノキの植林にされ、荒れ果てています。

 その結果、保水力もなく、生き物も棲みにくい土地が
 できあがってしまっています。


 もちろん、熊森の活動は多岐にわたっています。
 いろいろな活動があるでしょう。

 農業体験で自然の楽しさを学んだり、
 里山復活させたり、といったことも必要だと思ってます。

 しかし、僕が高知の山の中で生活していて、
 最も切実に感じることは、「荒れ果てた人工林」を「奥山」へと
 戻す活動が必要だな、ということなんです。

 これは、先ほど書きましたように、経済に結び付きにくいし、
 手軽に「自然体験」ができる土地ではないし、
 なかなか人目を引き、共感を得ることが難しいことだと思います。

 でも大事なのはそこらへんだと思うんですよ。
 それが、僕が熊森の活動を通じてやりたいことのメインです。


 もちろん、会員さんそれぞれに、熊森の活動に参加する目的があるわけでし、
 僕が「やりたいこと」に協力してくれ、ということじゃないんです。

 ただ、高知支部長という立場をやっているんだし、
 一応、個人的には「これが一番重要だ」と思っていることを
 明確にすべきだろうなと思ったわけです。
 
 そんなこんなで、また次回。それではさよなら。 

紅葉

 お久しぶりです。熊森高知支部です。
  
 秋も深まり、というか私の住む山間部では高知県とはいえ、
 標高550メートルもありますから、もう冬まっさかり。
 ちょっと冷え込む日には、早朝に霜が降りていることもあります。

 下を向いて歩くと、霜にやられた枯れ草が目につきますが、
 視線を正面に向ければ、美しい紅葉が目に入ります。

 主観的には、ここ数年で一番紅葉がきれいではないかと思います。
 具体的には、黄色や赤色がよりハッキリと発色しており、
 それが長期間続いているような感じがします。

 もう遠い昔のことになりますが、中学校の理科の授業で、
 紅葉の仕組みを教わったのを思い出します。

 生物の先生曰く、紅葉とはウンコである、と。

 夏の間、葉っぱが緑色に見えているのは、葉っぱの中の
 「葉緑素」という成分が緑色をしているからです。
 葉緑素が太陽光を受け、光合成をおこない、栄養をつくるわけです。

 でも冬になり日の光が弱くなってくると、樹はこう考える。

 「葉っぱを生やしとくにもコストがかかる。
  こんなに日光が弱いんじゃ、葉っぱの保持コストのほうが、
  生産する栄養よりも高くついてしまう。ヤメダヤメダ」

 で、結果「落葉」するわけです。葉っぱ、もうイラネと見捨てられる。

 ただ、この葉っぱの中にある「葉緑素」ですが、
 こいつは来年も使いまわしたいわけです。モッタイナイ。

 で、葉緑素を分解して、樹の本体、幹だとか枝の部分に取り込む。
 そうして、葉緑素を吸い取った「カスの葉っぱ」を捨てるんです。

 その吸い取る段階で、緑色が薄れていく。
 樹が「いらないよ」と判断した物質が残ることになる。
 それが、黄色や赤色をしているから「紅葉」になるんです。

 樹にとっていらないウンコを、紅葉狩りで目出るわけです。

 ふと思い当たりましたが、春の桜と秋の紅葉、
 なんとなく日本人の感性的には似た思いで見つめています。

 共に散る運命にあるもの。滅びゆくものの美というか。
 儚さというか。そこらへんが心を打つのでしょうね。

 話をちょっと現実的なところに伸ばしますと、
 市町村単位の林業、というか「山をどう使うか」の政策として、
 紅葉というのは一つのプロジェクトになり得るんじゃないでしょうか。

 スギやヒノキを植えて林業をやろうとしても、採算が取れない。
 それだったらいっそのこと、山桜やら紅葉やらをメインにした、
 自然の美しさを復活させ、観光資源として売り出していく。

 うまくやれば、林業より経済面でも上を行けるんじゃ
 ないかと思いますけれども。

 個人的には、経済面の理由とかではなく、
 「山の半分くらいは手つかずのままで残しておけ」
 という思想ですが、現実的にそれをどう実現するかとなると、
 経済面でのメリットがあるというのは重要なことだと思います。

 大半のことは経済論理で動いている世の中ですから。

 こんにちは。熊森高知です。
 まずは、先日読んだ本のご紹介から。

 『日本政府の森林偽装』平野虎丸著
  http://blog.livedoor.jp/rokuten1/
 
 上記ブログの内容をまとめて、出版した書籍です。
 興味ある方は、アマゾンで検索してみてください。
 
 林野庁がいかに日本の森林をダメにしてきたかという内容なのですが、
 この本で、あらためてナルホドと思わされたのは、
 「森林」と「林業」の違いについて。
 
 町(都会)に住んでいると、なかなかピンと来ないことです。

 例えば、町の人が山に来て、緑に覆われた杉林なんかを見て、
 「わあ、田舎は自然がいっぱーい」なんていう感想を抱くわけです。

 まぁ、ごく普通のことだとは思いますが、
 熊森風の自然保護の観点からいうと、ちょっと違和感があります。

 まず、よく目にする杉林や檜(ヒノキ)林というのは、
 人間が材木などを取るために植えたものであって、
 自然に生えたものではありません。

 だから、自然の森というよりも、畑に近いもの。
 森を切り開いて「材木の畑」をつくっている、という感じでしょうか。

 当然、これを全否定するわけはなく、材木がなきゃ家は建たんし、
 林業は必要なものです。ただ、「自然」ではない。

 杉やヒノキの畑(人工林)では、実(ドングリ系)のなる木が
 無いから、シカやイノシシやクマなどの大型動物は
 生きていくことができません。
 
 そして、降ってくる雨水を貯めておく力も弱いから(保水力が弱い)、
 洪水がおきやすいし、水不足にもなりやすい。

 洪水と水不足、というのは矛盾しているようですが。

 雨っていうのは、毎日降るわけじゃないですよね。
 台風がきてドワーっと降る時もあれば、
 一カ月くらい全然降らないってこともある。

 山に保水力が無いってことは、いわば、
 コンクリの地面(水が染み込みにくい地面)になっていて、
 台風のときにはドワーっと川に水が流れて洪水に、
 逆に降らないときには川に水が来なくて水不足、ということです。

 これが保水力の高い山だった場合、
 スポンジのような地面(水が染み込みやすい地面)に
 なっていますから、ドワーっと降ったときの大量の水を、
 一旦、たくわえておいて、そのあとにチョロチョロと
 出す(湧水として)ことができる。
 
 だから、雨が降らない期間も、その前に降った雨を貯めて
 小出しにしているから、水不足にならない。

 つまり、洪水と水不足ってのはセットであり、
 山の保水力の少なさが引き起こすものです。
 ゲリラ豪雨だとか、異常気象とかいうよりも、
 山の保水力の原因のほうが大きいと思います。
 
 それに、異常気象は我々個人レベルの力ではどうにも
 なりませんが、山の保水力はどうにかしようがありますし。

 と、いろいろ書きましたが。

 動物の生息域という意味でも、山の保水力という意味でも、
 「森」と「林(杉・ヒノキ)」をしっかりと区別し、
 それぞれの対応を考えることが重要です。

 意図的かどうかは知りませんが、大抵の場合、
 これをごっちゃにしています。

 「保水力を高めるため」として、杉を植林したり。
 ちょっと「森」と「林」の違いが分かれば、
 矛盾しているのが分かるのですが。

 「森」と「林」の違いについては、いろいろ説はありますが、
 ここで使うのは、自然にできたものが「森」、
 人間が植えたものが「林」としています。

 人間が「生やした」から「林」といいます。
 で、森は、遠くから見たら「もりもりっ」としてるから、
 「森」といいます。嘘か真か知りませんが。

 たしかに、自然にできた森は、向かいの山から見ると、
 ふわふわっと、もりもりっとしていますが、
 杉やヒノキはトゲトゲっとしていて、森っぽくないんですよ。
プロフィール

日本熊森協会高知支部

Author:日本熊森協会高知支部
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。